薬研温泉の由来

泉が薬研と呼ばれるようになったのは、江戸時代初期のことである。

和元年(1615年)大阪夏の陣で豊臣方に味方した城大内倉太郎(じょうおおくらたろう)という武将が、徳川方に敗れ、追手をのがれて海路流れついたところが、大畑川河口付近(孫次郎間=旧大石)であった。

らに残党狩りの目をのがれて陸路大畑川をさかのぼり、安住の地として温泉の豊富なこの土地を見つけ、湯の湧き出る箇所が、漢方薬種を砕扮するために使用する薬研という器具に似ていることから名づけたと言われている。

の後、場大内倉の家臣であった生茂佐衛門(はじめもざえもん)の一子仁佐衛門(にざえもん)が寛文7年(1667年)28代南部重直公から湯守別当を命ぜられ、以来、明治まで12代にわたって勤めている。

た薬研には、豊臣秀頼公持仏の薬師如来像を温泉の守護神として安置している薬師堂があり、毎年7月、薬師堂大祭と丑湯まつりの合同祭典が盛大に行われている。

研温泉は、昭和43年7月下北半島国定公園に指定された。

質は、単純泉で無色透明、無臭。疲労回復、慢性筋肉リウマチ、慢性関節リウマチ、神経痛、神経炎、骨及び関節等の運動機能障害、外傷性障害の後療法、心臓血行器病、気管支喘息、アレルギー性鼻炎、アレルギー性気管支カタル、小児病、内分泌系疾患等に効果がある。