尾去沢鉱山の歴史

鉱山入り口

去沢鉱山は、はるか昔、和銅元年(708年)に発見されたと云われ、その資産は、奈良の大仏様や、平泉の金色堂にも使われたと語り継がれています。

部藩の記録では、慶長3年(1598年)に金山が発見され、やがて銅山として栄えました。300年も鎖国が続いた江戸時代には幕府の御用銅として長崎に送られ、南蛮渡来の珍品や西洋の文化と交換され、遠くヨーロッパまで運ばれました。明治以降、我が国の急速な近代化と共に三菱の経営となり、有数の銅鉱山に発展しましたが、やがて、昭和53年(1978年)、限りある資源を掘り終わり閉山しました。

の後近代採掘の大空洞や江戸時代の手堀の坑道を公開し、地底探検を楽しみながら1200年の鉱山の歴史を訪ねる地底博物館として復活しました。